14歳で拒食症になってから

現在28歳.14歳で拒食症になってからの経過を書いています.拒食症で悩む方,御家族の方,友人の方などの少しでも参考になれば...と思います.

これまで(3)17歳 高2の時、拒食症に母気づく

【2006年夏秋(17歳)】母が拒食症に気づく
夏のバドミントン部の合宿で,シャトルランのようなことをやり,過呼吸のようになりました.
体重が減って,体を動かすだけで精一杯で,もう運動はできないと薄々感じていました.


9月の第1週,母が旅先で私の腕・手が黄色いことに気づきました.
特にみかんを食べまくっているというわけでもありませんでした.
「細さ」に言及された覚えはありませんが,肌の色の変化に母は気づいたようです.


9月第2週,姉の大学の小冊子の特集で「思春期やせ症」のことが載っていて母が見せてくれました.
痩せのことはもちろん,肌が黄色っぽくなること,生理が来なくなることが書かれていたと思います.
「あなたはきっとこの病気だ,病院に行こう」と言われました.
私は「病気か…それならもう部活で運動しなくて良いんだ…この食べ物の縛りから解放されるのかもしれない…」
と感じた一方で,
「病気になれた…!みんな心配してくれるだろうか…特別な存在になれるだろうか…」
のように思っていた気がします.

中学生の頃だと思いますが,テレビ番組で拒食症のことを知り,
「食べられなくなって痩せられるんだ!イイなあ!私もこの病気になりたい!」
などと思っていました.
そんな夢が叶ってしまったんですね…w

それにこの頃の私は特に,自分のアイデンティティを探していたのだと思います.
「病気になれた…!みんな心配してくれるだろうか…特別な存在になれるだろうか…」
というのはそういうことです.
中学の頃は運動・勉学No1,生徒会役員,ピアノで学年の伴奏者,と人に抜きん出た部分が自分を形成していました.
でも高校に入って,多才な仲間に囲まれ,上記のことはもちろん,他に自分自身を主張できるものがなくなっていました.
唯一,抜きん出ている?と思えたのは,勉学の出来と,痩せていることでした.
そこに,「病気」(思春期やせ症,拒食症)という,他の周りの誰も持っていない特徴を得られるんだと感じていました.

誰でもない私を形成するものとして,「痩せ」「拒食症」が重要な要素として取り込まれました.
今だからこんな風に書けるのであって,当時は全て無意識下のことです.
だからその後「痩せ」も「拒食症」も,手放すことはなかなかできませんでした.



9月第3週,文化祭の準備のため授業がないという日を選んで,母と国立病院の精神科にいきました.
勉強が大事で大事で授業を休むなんて考えられませんでしたから.
色々と話しを聞かれて,答えて……
「思春期やせ症」と診断されたんだっけな?覚えていません.
とりあえず「こんなのが治療?これで治せるの?」という感想でした.
でも,部活や体育といった体を動かすことをやめるように,といった主旨の診断書を書いてもらった気がします.
私自身が,運動がとても辛かったからです.

この頃から,母に体重計を隠され,体重の値に踊らされないように制御されました.
時々,体重計をどこからともなく持ってきて,母だけが体重を見れるように表示板を隠され,体重測定をしました.

私は特にそれを嫌がりませんでした.
自分で毎日体重計に乗って,体重を確認するのは,実は辛かったからです.
体重の値を気にしなくて良い解放感はありがたかったです.
体重を見れない怖さももちろんありましたが.