14歳で拒食症になってから

現在28歳.14歳で拒食症になってからの経過を書いています.拒食症で悩む方,御家族の方,友人の方などの少しでも参考になれば...と思います.

これまで(10)18歳 拒食症と大学受験失敗

【2008年冬(18歳)】志望校不合格と浪人

東大の合格発表の日。
私の時はまだ掲示板での合格発表がなされていました。
しかし私は落ちてるとしか思えなかったので、見に行く気はありませんでした。
両親か代わりに見に行ってくれました。
受かっていたときのために、というところでしょうか。

しかし午後の発表時間に合わせて両親が家を出ようとしたところ、郵送にて合格発表通知が来てしまいました。
中には不合格通知が入っており、「掲示板より先に分かってしまうものなのか?!」と混乱しつつ、念のため両親は東大に行きました。
後にわかったのは、この年の合格発表通知が誤って早く郵送されてしまったようでした。
予期せず自宅で手紙にて不合格を知ってしまった私は、自分の部屋の掃除を始めました。浪人生活に向けて。
途中、母から電話でやはり不合格だったということを聞きましたが、それほどショックではありませんでした。


私は当初、不合格だったら自分は壊れてしまうのではないかと思っていました。
ますます物が食べれなくなり、自暴自棄になり大声で泣きわめくのではないか、と。
でも不合格を知った私は何か吹っ切れたような、つきものが取れたような爽快感を感じながら、早速浪人の準備を始めたのです。

両親もわたしが落ち込んでいないのは想定外だったようでした。
私は「浪人させて下さい。もう一度、東大を受験させてください」と土下座してお願いしました。
お金も心配もかけさせるのだから土下座は私にとって当然のことでした。
両親は躊躇いもなく了承してくれ、背中を押してくれました。

予備校に行かせてくれるばかりでなく、なんと合格していた慶應大学に入学させてくれると言いました。
私はお金がもったいないから、と猛烈に断りましたが、
「次に慶應大学を受験したとしても受かるかわからない。拒食症の悪化で受験勉強が続かなくなるかもしれないし、当日に不測の事態が起こるかもしれない。仮面浪人しなさい」
とのことでした。
入学しなければ母が納得しなさそうだったので、イヤイヤでしたが入学しました。
はじめの履修届だけして後は行きませんでした。
全国の慶應大学の関係者の皆様、申し訳ございません。

かくして、仮面浪人をしながら再度、東大を目指しました。
拒食症からの脱却が叶うかもしれない場所を目指して。



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東大の合格発表前に高校の卒業式がありました。
進学先の大学が決まっている友人が多い中、まだ決まっていない私はどちらかと言えば気が楽でした。
まだ不合格とは決まっておらず、「頭のいい◯◯ちゃん」の理想像は壊れていなかったからです。
私が頭がいいという、周囲からの評価を壊さずに卒業できることは、浪人するとわかっていても、本当に良かったです。
不合格が決まってから卒業式だったら行かなかったかも。
それに不合格のショックはもっと大きかったかも。

周りの人からの評価を変えずに卒業できたことは本当に良かったです。

これまで(8)18歳 拒食症しつつ、大学受験勉強

【2007年】大学受験勉強

 

高校3年生の時のことはあまり覚えていません.

 

体重維持と勉強しか頭になかった気がします.

そろそろ食べれないことによる体力不足で頭も上手く回らず,

拒食症の魔のスパイラルからどうしたら脱却できるか,考え始めていたと思います.

 

いつからだったか,成績優秀・勉強好きだった私は東京大学を目指していました.

どこかの医学部にいくことも先生方に進められましたが,

「1番が良い」という理由で東京大学を選びました.

 

そして日本で1番の大学に行ければ,それが私の自信となりアイデンティティとなり,

拒食症から抜け出せるキッカケになるのではないかという希望もありました.

 

 

何とかして東京大学に.

そうすれば明るい未来への一歩を踏み出せるのではないか.

 

 

そんなことを心に秘めて勉強していました.

 

体重はその時点で増やす気はありませんでした.

あくまで,東京大学にいったら自分の気持ちを切り替えよう,と決めて.

勉強,勉強,勉強で頭は栄養を欲しているのに,食べるのはガマン.

栄養が足りなくて頭がボーっとする.

これでは勉強の効率が悪いと分かっていても,食べることは出来ない.

 

 

 

たしか,この頃は母が体重管理をしていました.

毎日・・・かな?

私が体重計にのって,計測盤を母が隠しながら見てメモしていました.

私は体重を見ると一喜一憂して食事量に影響してしまうので,見せてもらえません.

でもここだけの話,母のメモをこっそり見ていました.

メモはキッチンの引き出しにあって,母がいない時に見ることが出来たのです.

そのメモは日記のようになっていて,母の私への心配の言葉が並べれらていました.

 

結局,母の心配に心を痛めながら,体重を確かめて一喜一憂していました.

 

 

体重が増えていたら,それを減らす手段として運動なんてする時間ないので,食事量を減らしました.

後は毎日きちんと排便しないと気が済みませんでした.

そうしないと体重増えますからね.

 

 

 

学校には毎日きちんと通っていました.

進学校でありながら大学受験のための授業を一切してくれなかったので,

数学ⅢC,物理,化学はその授業中に独学でどんどん進めていました.

先生方には申し訳なかったけど,東京大学ならびに同レベルの大学に合格するには授業の時間が惜しくてたまらなかったのです.

とはいえ学校を休むことなどはしませんでした.

 

また風邪等で学校を休むこともありませんでした.

生来より体が丈夫で,痩せていてもウイルス等にやられることはありませんでした.

 

 

 

 

また,この頃だったと思うのですが,更年期にも似た症状に悩まされました.

夜横になると体が火照ってしまい寝付かれませんでした.

ホルモンバランスなんてあったもんじゃなかった状態でしょうね.

生理はまったく止まったままでした.

 

これまで(13)19歳 拒食症で本命の大学受験

【2009年冬(19歳)】本命の大学受験

東大二次試験の受験日。

それまでと同じように、父と家を出て、朝にファストフード店でお弁当を半分食べ、半分捨てて、会場に向かいました。
昨年も受験していたし、少し心に余裕を持ちながら行きました。
受験する教室で心を落ち着けて試験を待っていると、教室に見知った顔が入ってきました。
予備校で1年間一緒に浪人してきた友達でした。
同じ教室に一人友達がいるというだけで、とても安心できました。
それだけで勝った気がしました(笑)


一日目午前の国語は、それまでと同じような出来でした。
可もなく不可もなく。
一日目午後の数学は、できないものだと腹をくくっていたので、それほど焦りませんでした。
案の定、分からない問題だらけでしたが、少しでも点数を取るために答えを書き連ねました。
正直、出来は良くない気がしましたが、前年ほどに落ち込まずに家路につきました。

二日目午前の理科は、会心の出来でした。
浪人してきたかいがあったといわんばかりに、物理化学がよく解けました。
二日目午後の英語は、比較的よくできました。
満点はありえませんが、頑張って実力を出せたと感じられました。


それから合格発表までの2週間は、後期試験の勉強もそこそこにノンビリ過ごしました。
全部終わったぁという解放感があり、絶望も幸福もありませんでした。



合格発表の日。
父と母と三人で東大に行きました。
早めに行って、掲示板から少し離れた人混みの最前列にいました。
(東大応援団の人たちが整備していました)
定刻になり、掲示板に合格番号が貼られ、太鼓の音とともに人波が掲示板前に誘導されました。
父がずっとビデオを撮ってくれていました。それくらい、実は合格の自信がありました。

押しつ押されつ、掲示板の前に行き私の受験番号を探しました。
結構すぐに見つかり、「あった!!」と叫びました。
ちゃんとビデオに残ってます(笑)
そして母と喜びあい、早速アメフト部に胴上げしてもらいました。
念願の胴上げです!
これをやってほしかったんです!
それから予備校のチューターや、親族に連絡しました。
両親ともに大喜びでした。

私はその足で予備校の祝賀会に。
一通り予備校のチューター方と喜び合って、家でいつもの夕飯を食べました。
お祝いの日でも勿論いつもと同じ。
ここで突然違うものを食べるなんて怖くてできません。

その日の夜は本当に久し振りに今で夜を過ごしました。
ずーーっと自室で勉強という生活でしたので。


これで目標は達成された。
東大生になって、世間から「頭いい」という目で見てもらえ、私のアイデンティティーになる。
「痩せてる」「拒食症でかわいそう」なんていう看板はもういらなくなるはず。
少しずつで良い。
前ほどに太らなくていい。
せめて健康の指標である「生理が来てほしい」。
そんなふうに思いながら春からの新生活に向けて、相変わらずの規則正しい生活をしていました。

これまで(12)19歳 拒食症で2回目の大学受験

【2009年冬(19歳)】2回目の大学受験

大学受験シーズンが近づくにつれて、現役生の成績上昇率に負けて、私の成績はジワジワと下がりつつありました。
それでも高偏差値や高合格判定は出ていたので、勉強方法は大きく変えず、生活スタイルも変えず、過ごしていました。
東大に落ちたら、ということは考えず、とにかく土台をかためていきました。
クリスマスも年末年始も勉強し続け、とにかく自信をなくさないよう踏ん張りました。


二回目のセンター試験
落ち着きを保てればいい点数が取れるけど、焦ってパニックになれば東大を受験すらできない。
ドキドキしながら会場に行くと、なんと隣の席には高校の友達がいました。
高校で一括申し込みするのとは違って、浪人で個人で申し込みしていたので、同じ施設同じ教室で知り合いが受験するだけでも滅多にないと思います。
なのに、あいうえお順で列方向の席順なのに知り合いが隣だなんて本当に驚きました。
その子は高校で仲良くしててくれた数少ない友人の一人だったので、嬉しく思いました。
お互いに浪人という立場をわかっていたので、その場でキャーキャー騒ぐこともありませんでした。
それに私は理系、その子は文系でしたので、受験科目がほとんどかぶらず話す時間もありませんでした。
でも全く知らない人が隣の席であるのと違って、多少手の内のわかる友人が隣だったので、安心して受験できました。
おかげで前年よりも良い成績をとることができ、無事に東大二次試験にすすめました。
しかもセンター試験の点数を使って、慶應大学の法学部にも合格できました。
これで東大に受からなかったら文転して法学部に行こうと思いました。



東大二次試験までの一ヶ月は、それまでと同じように規則正しく過ごしました。
途中で慶應大学と早稲田大学理工学部を受験し合格しました。
受験日にはまた父と大学に向かいました。
この時は受験中に体調が悪くなってはいけないと思い、朝早めに会場近くのファストフード店に行き、お弁当を食べました。
でも、やはりお弁当をすべて食べるのは怖いので、やはりまた半分くらいは捨てました。
父がトイレに席を立ったときや、父の死角でうまいこと持参した袋に食べ物を入れました。
これが最後になりますように、と祈りながら…
お昼ごはんにはバナナを少し食べた気がします。
受験日だけは多少食べる事もやむを得ないと言い聞かせながら。

これまで(9)18歳 拒食症で大学受験本番

【2008年冬(18歳)】大学受験本番

東京大学の合格に向けて一生懸命勉強しました。
でも、一年目は不合格に終わりました。
拒食症で勉強効率が悪かったとか、学校が進学準備を推進してなかったとか、あれこれ言い訳もいえますが、ただただ自分の実力が足りなかったのだと今は思います。


センター試験は思ったよりだいぶうまく行きました。
それまでだいぶ自信をなくしていたのですが、これなら東大にいけるかも、と思えました。

二次試験に向けて予備校に通い、慶應大学の受験もしました。
たしか…ここでは試験のために、と昼ごはんに何かを食べた気がします。
嫌で嫌で仕方がなかったけど、合格のために、と。
慶應大学には難なく合格できました。

東大の受験の日、とてもとても寒かったです。
2日あるうち2日目はたしか雪がふりました。
朝、最寄り駅まで来るまで送ってもらう間でフロントガラスが凍ってしまいました。
(東京近郊に住んでいたので、そんなこと滅多になく驚いたのを覚えています。)
慶應大学の時もでしたが、父が送り迎えをしてくれました。
うちでは姉の時も、私の時も必ず受験には父がついてきてくれました。
すごく緊張していたのに正門に入るまでに長蛇列に並ばなければならず、辛かったのを覚えています。

一日目の午前、国語はまあまあでした。
東大模試や過去問でも手応えがよくわからず、いつも同じような点数だったので、まあそのくらいだろうという感じでした。
一日目の午後、数学は地獄でした。
模試や過去問で分かっていたのですが、私は東大が受験で出す数学が全く解けませんでした。
他のところで出る数学はだいたい解けるのですが、東大のには歯が立たなかったのです。
当日は…もうなんとかなるだろうと思って挑んだのですが、あえなく撃沈。
6問中1問くらいしかまともに解けそうにないし、何より後ろの子の鉛筆の音がうるさくて集中できない。
試験は150分あったのですが、骨ばったお尻は異常に痛いし、回答できないことでパニックになっており、悲惨な状態でした。
終わったときにはもう放心状態でした。
迎えに来た父には何も話せず、電車の中では黙って涙を拭いました。


二日目の午前、理科(物理、化学)でまあまあでした。
それなりに解けたかなあ、という気はしたけど先日の数学の失敗を取り戻せるほどではありませんでした。
二日目の午後、英語は思ったよりできませんでした。
もともと時間が足りないくらいになることは分かっていたのですが、それが予想以上で、不完全燃焼でした。


結局、二日目を終えて合格点を取れた気が全くしませんでした。
もうダメだ、浪人するしかない、と呆然としていました。
合格発表までの二週間は、一応後期試験の受験勉強をしていましたが、あまり身が入りませんでした。

授乳中なのに痩せ願望

母乳が出ているからイイんだけど,痩せ願望が止まらない

 

いま,158cmで39kg付近をいききしてる

それより減らしたいと思って食事を気にしてる

 

2月に入ってからは息子くんを連れてのお買い物の事を考えて食べなくした

その代わり夕飯を早くしている

 

はじめは17時頃に食べれればいいとしていたけど,

早く食べればそれだけ良い気がして

16時に夕飯を食べれないと不安になってきている

 

あ,息子くんが起きて泣いちゃった

完母で授乳してても拒食の症状・・・

息子くんは12月末に4ヶ月になりました.

特に強いこだわりはなく完母で育てはじめ,上手く行っているので今も完母です.

でも次第に完母が

【いくら食べても太らない状態】

と密接しているので,完母が嬉しくなってきています.

まあ,それくらいは一般的によくあることかな?

 

もちろん何を食べても良い,とは思っておらず,野菜中心かつタンパク質もとり,白米も食べるようにしています.

さらに甘いものなども絶えず食べたい気持ちがおさまりません.

体重を数日おきにはかっては少しの増減で一喜一憂してしまい,食べる量を調節しています.

体重をなんとか増やさないようにしなければ,と躍起になって拒食してしまいます.

 

食べる量を抑えることがどれだけ母乳に影響あるのか分かりません.

息子くんの調子も日によって違うから,

ぐずるのが母乳のせいなのかその日の調子が悪いせいなのか分かりません.

完母なのに食べ方を変えて息子くんに悪影響がないと良いんだけど...と願っています.

 

 

ほんと,いつもいつも頭から食べ物のことが離れません.

*母乳のためにアレ食べなきゃ,でもコレは母乳によくないなあ.

*太りたくない!だからコレは我慢しなきゃ・・・

*育児ストレスで一日の終りはヘトヘト.今夜は何をデザートにしようかな.・・・でもやっぱり母乳的にも体重的にもダメ!?

*ああもう何も考えないでたくさん色々食べたい!!!!

 

 

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年末年始は旦那の実家でよく食べました.

大体は夕食が豪華なので,お昼は質素にさせてもらっていました.

夕食も野菜を多く食べるようにしていました.

そのためか行く前よりも帰ってきてからのほうがすこい体重が減っていて39.8kgでした.

結構というかかなり嬉しかった反面,エネルギーが足りなくてだるくて困りました.

これは少し太らなきゃ!と思ってよく食べるようにしました.

すると気分が少し良くなってきて,,,,

「もしかして太った?」

と不安になってきました.(太るつもりで食べたんだけどね)

そしてついつい体重をはかってしまい,5日で2kg太ったことがわかり,ショックを受けています.

41.7kg

これもまだ生理が来ない程度の体重だろうから,健康体重に達したとは言えないけど,前回より太ったことがショックです.

 

 

耐えきれず,体重をはかってしまった自分がバカだなあと思うし,

客観的に考えてこの数値で太ったとショックを受けている自分がバカだなあと思います.

 

でもまた明日から数日は食べるのが怖くて,量を減らしたり,野菜中心にしてしまいそう....

 

 

困ったなあ.