14歳で拒食症になってから

現在28歳.14歳で拒食症になってからの経過を書いています.拒食症で悩む方,御家族の方,友人の方などの少しでも参考になれば...と思います.

拒食症を治す!回復・克服に向けて

だいぶ記事が滞っておりました.

 

拒食症を治したい,治させたい,という方のために

栄養療法をオススメしたく,

記事を書いています.

 

 

 

私は現在,二人目妊活中ですが,

女性ホルモンが出ていないとのことで,

急遽,体重増加をはかっております.(!!)

 

またビタミン・ミネラル(鉄)のサプリを積極的に飲んでいます.

(ブログ下部記載)

 

それと同時に

アメブロの方で色々な方のブログを読んで

高タンパク質・低糖質生活を進めています.

 

 

まだ自分自身で結果は出ていないのですが,

二人目妊活という大いなる目標があるためか,

体重を増やすことが怖くなく,

三食たっぷりタンパク質をとっても

罪悪感がありません.

 

 

そして拒食症を治したいと本気で思えるようになりました.

 

 

 

 

 

私が一念発起したきっかけを作ってくれたブログ等を,

拒食症で苦しんでいる方,

その周りで心配される方々に紹介したく,この記事を書いています.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拒食症がひどければ,

とにかく食べれない・食べてくれない

という症状があると思いますが,

食べれる時にとにかくタンパク質をとってほしいです.

いかに私,及び現代人がタンパク質不足なのか勉強しました.

炭水化物は少々のお供で良いのです.

 

また鉄をはじめとしたミネラル,

一緒にビタミンCをはじめとしたビタミン

しっかりサプリから摂って下さい.

私は藤川医師の勧めるこちらの4種類を飲んでいます.

  • B50、2錠、朝夕
  • C1000、3錠、朝昼夕
  • E400、1錠、朝
  • フェロケル(鉄)、3錠、夕(眠前)

参考先

iHerbというネット通販で海外から個人輸入です.

国内で買うサプリより高くないです.
どれを飲んでいるかはこちらです.

ameblo.jp

 

 

タンパク質・鉄・ミネラルを摂れれば

次第に食べるのは怖くなくなります.

はじめは辛くても頑張って摂取して,

恐怖を克服して下さい.

そしたら体重も増やせます.きっと.

 

 

 

 

産後1年2ヶ月 生理が再開しない

久しぶりの近況報告です.

 

 

息子は1歳2ヶ月になります.

 

1歳で断乳しました.

次の子を早く作りたいと思っていたからです.

 

断乳後2ヶ月.

まだ生理が再開しません.

 

この前,健康診断したら158cm・43kgでした.

産前の,生理が50日周期くらいできていた時と同じです.

 

でも,

体重が少なくてまた生理がきていないのかな

と心配になってきました.

 

最近は太る心配をする間もないほど忙しい子育ての日々で.

お腹いっぱいまで食べられなくても,

息子がグズグズしているから食事を切り上げなければならないこともあります.

 

 

授乳中はストレスもあって,お菓子やアイスばかり食べていました.

でも最近は嫌でもタンパク質多めの食事をし,

お菓子を食べないよう努力しています.

頑張ってご飯も食べています.

 

・・・おかずも,ごはんも,測りではかっていますが.

 

やっぱり怖いんですよね.笑

 

でもここは思い切ってもう少し食べなきゃかなあ.

 

 

早く生理再開して欲しい.

子作りしたい.

 

いまの体重じゃあ少ないのかなあ・・・

辛くて吐きそうな日々を送っています.

これまで(15)20歳 5年ぶりの生理再開

【2009年冬 20歳】5年ぶりに自然に生理がきた

いつ測ったか忘れましたが、それか測ってないのかもしれませんが、
大学1年の冬にはだいぶ体調が回復していました。
生理がきていい体重になったのです。
42kg程度が私にとって生理がくる体重でした。

忘れもしません。
2009年12月23日にいつになくお腹に鈍痛を感じ、生理がきました。
初経の時のように嬉しくて、母に知らせました。
その日はクラスメイトとクリスマス飲み会で渋谷に行きましたが、何とも言えない高揚感を感じていました。
とうとう生理がきた。
良かった。良かった………

しかしその後の生理は順調なものではありませんでした。
2ヶ月くらいあいたり、生理期間が短かったり。
それに生理中の鈍痛や、生理前の頭痛、腹痛などがあって、薬が手放せませんでした。
これが拒食症による低体重のせいなのか、数年間の無生理期間のせいなのか、もともとの性質なのかはわかりませんでした。
そもそも11歳半で初経、15歳ちょうどで生理停止、20歳半で生理再開だから私の生理のリズムなんて分かったもんじゃないのですが。
とにかく自発的に生理が来てくれたので、良かったのです。



実のところ、生理がくるということは、健康体を意味し、「痩せている」「拒食症」といつアイデンティティーがなくなると感じていました。
でも[生理がこない]=[子供が産めない]ということは、あまりに受け入れがたいことでした。

私は小さい時から早く自分の子供が欲しかったのです。
自分自身では小学生の頃から自分の子供を熱望していましたし、
母が言うには幼稚園の頃から子供がほしいと言っていたようです。
私は母性が強く、3歳下の弟の世話を甲斐甲斐しくしていました。
近所の7歳下くらいの赤ちゃんが可愛くて仕方ありませんでした。

だから自分が子供を授かれないというのは、絶対に避けたかったのです。
(幸い、生理開始から6年後、不順の生理とうまく付き合って息子を出産しました)
子供を授かるためにも、生理をまず起こせるような身体を作り、更に継続して生理が来るように努力する必要がありました。
そのためには食べたくない、という気持ちはなんとか振り払って進まなければなりませんでした。



私の拒食症が悪化して死にまで至らなかったのは、
東京大学に行くために最低限の栄養を頭に送らなければならない、とか
●子供を絶対に授かりたいから痩せすぎてはいけないんだ、とか
少しでも叶えたい夢があったからかもしれません。

今はそう思います。

二人目のために…

私は三人兄弟でとても楽しかったので、自分の子供には三人以上の兄弟を作ってあげたいと前から思っています。

いま息子くんが9ヶ月になり、そろそろ二人目を考えたいと思っています。

しかし、まだ生理が再開していません。


一つの理由として考えられるのは、母乳です。
たくさん出る母乳のおかげか、息子くんは離乳食もままならず、夜中も三時間おきにおっぱいを欲しがります。
夜中の授乳があると、生理の再開が遅くなると聞いています。
もしくは、断乳するまで生理は再開しないかもしれません。


もう一つの理由として考えられるのは、体重です。
最後にはかったのはもう一ヶ月以上前になりますが、42kgくらいでした。
産後最高値と言えます。
しかし生理が普通に来るには私にとってはギリギリのライン。
もう少し増やさないとかろうじての生理は来ないでしょう。
妊娠前は43kgくらい、周期は50日くらいで一定でない感じでした。




そして。
旦那には、
もう少し太ってくれないと、子供作りたくない。
私ちゃんの身体が心配。
と言われています。

一人目の今の息子くんを妊娠したときも旦那はずーっと私の身体が耐えられるかを心配してくれていました。
特に、出産の時に私が死ぬんじゃないかと。




これらの点を考えると、二人目のために体作りをしなければならないなぁと実感しています。
太るのが怖いという思いは強く、断乳したら太るのではないかと恐れているのですが、この気持ちを抑えてなんとか次の子を授かりたいです。

夫の優しさに応え、家族のために、自分のために、ちゃんと体を作る!
…できるかなあ😌

これまで(14)19、20歳 拒食症の大学生活

【2009年春〜秋 19、20歳】大学生活

受験を終えて、ホッとすると間もなく大学生活が始まりました。
東大では2年生の夏までは教養学部に所属し、広く基本的な教養を身に着けます。
そのために40名程度のクラスに分けられて、多くの授業をクラスメイトと乗り越えます。

私はとても良いクラスだったなぁと思います。
みんな、さすがと言わんばかりに頭がキレていて、よく勉強ができ、尊敬できる人たちばかりでした。
でも勉強で頭がいっぱいの堅物ではなく、一緒にいて楽しく刺激的な仲間でした。

高校でも同様な人たちに囲まれていたのですが、私自身が少し勉強の出来が良かったために、私は肩肘張って「頭のいい子ちゃん」を守らなければなりませんでした。
ももう東大にいたら、浪人して苦労して入った私は肩肘を張る必要がなくなりました。
確実に周りのほうが勉強できるんです。安心していられました。

私は周りに遅れを取らないよう、自分のできる範囲での勉強の努力は惜しみませんでした。
決して1番をとるため、アイデンティティーの確保のためではなかったので気軽でした。




入学直後の身体測定で、
158cm、37kg
でした。
この体重を見るまでは太るのは怖かったのですが、この体重を最下点としてもう減らすことはやめようと心に決めました。
いきなり増やさないでいいから、徐々に増やそう、と決めました。


まず、規則正しい生活が心の安定になっていたので、そこは変えませんでした。
サークルなどにも入りたかったのですが、食事の時間が一定でないと不安になりソワソワしてしまうので、入りませんでした。
通学に2時間弱かかるのも理由の一つでした。
どんな活動にせよ、始動前に2時間弱の移動時間、後に2時間弱の移動時間は学業にも影響があると思いました。

朝は6時頃に母がフレンチトーストを作ってくれます。
お昼ごはんは食べません。
友人と食堂に行っても、「胃が弱いから昼食は取らない」と言って食べません。
それが心の安定になるからです。
夕飯は19時とかだったかな?
必ず家で食べます。
そしてここでなるべく頑張って食べて、体重を増やすようにしました。

GWダイエットしないように・・・

GWが近づいてきました.

私は夫と息子と,夫の実家に帰る予定です.

 

夫の実家では

夫の家族と同じ食事パターン(時間・質・量)に合わせなければならない

ということが当然あります.

 

普段は息子と二人きりなので私のやりやすいように食事をしています.

いつもなら,

*いっぱい食べたいけど太るの怖い

→ お昼抜き & 夕飯は16時頃から.

 (8ヶ月の息子をあやしながら1時間半ほどかけて食べる)

→ どんぶりにキャベツとモヤシ盛り

 & きゅうり1.5本

 & 煮干し

 & メイン(コロッケとか)

 

なのですが,夫の実家ではそうもいきません.

 

さらに,

*夕方17時頃から息子がグズグズ.

→ おっぱい飲んでそのまま腕の中でスヤスヤ,を1時間毎に繰り返す

 

なので,この時間帯にご飯を食べるのはほぼ不可能!!!><

でも夫の実家ではそうもいきません.

 

 

いつものようにいかないと,どうしても

「これ以上遅い時間に食べたら太りそう怖い」

とか

「息子がグズってる中,無理して食べるのもう疲れた」

とか言って十分食べることを諦めてしまいそうです.

しかもそれがダイエットにつながるので,だんだん気持ちが高揚して遂行してしまうのです.

 

そうならないように,頼れるところは義母や夫などに息子をお願いして痩せないようにしないと.

 

 

 

最近は体重計にも乗らずに頑張っています.

それに食べながら「幸せだ~」と思いながら食べるようにし,楽しく食べられるものを食べるよう心がけています.

GW,いつもと違う食事パターンはすごくすごく怖いけど,

いつもと違うことを怖がりすぎないで,楽しめるよう頑張ります.

 

これまで(11)19歳 拒食症と浪人生活

【2008年(18,19歳)】浪人生活

浪人生活はとても充実して生きやすいものでした。


全く新しい仲間に囲まれ、受験勉強以外のことを考えなくていい。
規則正しい生活をとにかく送ればいい。


予備校には母の弁当を持っていきましたが、午前の休み時間に食べて、夕飯までの時間を大いにあけてお腹が空くようにしました。
ただし全ては食べずに相変わらず半分くらいは捨てていました。
そういえば捨てずに済むように、ご飯の盛り付けを私が率先して行い、規定よりも少なく入れることで出来るだけ廃棄量を減らす努力もしました。
しかし母に減らして入れていることを指摘され、断念しました。
やはり、母の見えないところで捨てるしかないのだ、と諦めていました。


夕方6時頃には家に帰り、いつも同じ時間に夕飯を食べることができたので、とても気持ちが安定していました。
母は少ない量のおかずを多数用意してくれました。
それは拒食症の私にとっては食べやすいことでした。
食べることが基本的に好きなので、でも一つ一つをたくさん食べることは怖いので、少量多数はとても嬉しかったです。


模試のときはどうしても終わりが夜8時になるのですが、遅く食べる=太る、という恐怖に囚われていた私は、せめて模試が終わってすぐさま食べないと不安で不安で仕方ありませんでした。
しかし一人で外食というのも、ハメをはずしてしまいそうで怖くてできませんでした。
結局、もし会場の近くに母に来てもらい、一緒に外食しました。
たまの外食。
食べるのが途中で怖くなれば母に食べてもらえる。
ハメをはずさなくてすむ。
とても安心できる食事でした。


休みの日はいつもお昼にうどんと卵とハムを食べました。
80グラム、とかだったかなぁ??
うどんは私が重さを測って母に渡しました。
肉付きに不安がれば数グラム減らしたりして。


そんな生活で太ることも痩せることもなく(体重は知らなかったし知りたくなかったので分からないですが)平穏に浪人生活が過ぎました。



予備校での成績はとても良かったです。
東大には不合格でしたが、それまで本当に勉強しまくりでしたから、基礎知識はよく見についていました。
そして改めて予備校で体系的に学ぶことで自分の知識をきちんと整理でき、気持ちいいくらい授業を吸収できましたし、もしでもいい成績を残せました。
それがまた精神安定につながっていたと思います。

一年目に東大に落ちて、予備校でしっかり勉強したことはその後の学びに大いに役立ちました。
落ちて良かったと、割り切っていられました。